自分自身であることを楽しんで生きていくのは正しいか

長文

私自身の答えは正しいと思う。

今の状況がそうだからだし、自分で好き勝手やって生きてきた現時点の結果だからだ。

人に嫌われるのも対立して体力も精神力も消耗するのも、私は楽しんでいる。

それができるのは上手く表現は出来ないが自分であることを楽しんでいるからだと思う。

人に話しかけれなくたっていい。それが強がりだっていい。

相手に信用されないことだってどうでもいい。寂しい人間だと思われたって構わない。

そんな偏った考え方の人間とは付き合わなくてもいい。

相当投げやりな考え方だが、それが私である。

私自身が偏っている人間だからそういう考えに今は至ったのかもしれない。

私の考えや思いを反対する人間を敵とみなしていることもある。

頭から否定することの人間が多い環境もあるが、それに関しては今までにもあったことなので対抗すればいいことだ。

「相手は変えられないのだから自分を変えろ」などとはよく言ったもんだ。

意味は取り違えているかもしれないが、自分を変えることができたので良い結果とは思う。

聖人にはなれないし悟ることもできないが自分でいることがようやくできた。

また失うことはあるとおもうが、また違う形で取り戻せる妙な自信は出来ている。

幼いころは自分自身であることをもっと単純に楽しんでいたはずだ。

泣いて笑って怒ってケンカして、怒られながらも夜遅く遊びまわったりふらついたりもした。

学校の許可なくアルバイトをして稼いで授業料も支払ってきたし、車の免許も取った。

何より純粋に漫画家になるという向かって絵を描き続けられた。

自分自身であるということはあの頃の思い出に浸る時間でもあるが、少しだけ今の自分を勇気つけてくれる。

そして今ある自分の力量を最大限に生かすことにも力をくれる。

もっと単純でいい。もっと見たまま感じればいい。

難しく考える癖はまた出ると思うし、行動に移せなくなる自分は必ず出てくる。

それはまた自分であることだと今度はきっと理解できている。

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