あの本を読むまで私もケーキが三等分に切れなかった

長文

精神科医が書いた有名な著書がある。

私は犯罪者心理など一ミリもわかりたくはない人間なので、いくら耳に入ってきても書店で見かけても手を伸ばそうとはしなかった。

もちろん犯罪者のの書いた本や絵画になど嫌悪感だけしかないし、殺人を犯した者に情など与えたくはない。死刑執行ボタンが一般人に押せる権利があるのなら、私は喜んで進んで候補に出たいくらいの異常な人間だと思っている。

しかしふと気がついた。もしかして同族嫌悪ではないかと感じたからだ。

犯罪を犯すもの犯さないものの違いだけであって、私の思考はすごく犯罪者に多いのではないかと思ったからだ。

自分でも十分に危険な考えを持ち合わせているのは自覚できている。だからこそ読まなければならないと思い、手に取った。

気持ちの面では何も変わらなかった。

その子が守るべき未成年だろうが更生の余地があろうが未熟な考えが起こした行動だろうが、私の中の犯罪者を憎む気持ちは変わらない。

だが自分と向き合う良いきっかけにはなったと思う。

私は幼いころから「変わった子供」だと周囲に言われていたし、感情のコントロールもできないよく泣く子供だった。

ただ時代がそうだった為ただの「変わった子供」でかたずけられていたし、悪いことをしたらしっかりと怒る両親ではあったが良くも悪くも放任主義だったので幼いころから小学生まで私と向き合うことは少なかったと思う。

思春期になると父は急に芸術家一家にしたかったのか私にバイオリンをやらせてみたり勉強も教えたがりになっていたが、この時にはもう上手くいくはずがない。

私は幼いころから絵をかくのが好きで美術部にも入ったりしていたのだが、中学も高校も担当の先生に私の描く絵は気に入られなかったので途中でやめた人間である。

実父も今でも絵を描いているが、どの時代でも私の描く絵には興味を示さず褒めることもせず、自分の描く絵ばかり絶賛し押し付けてきた。

そりゃ自己肯定感も低くなるはずだ。いま思うことは良くそれで生きてきたなと感じるだけだ。

私はまだ運がいい。

学校は良くさぼったが非行には走らず、当時仲の良かった友達と田舎の街や山を自転車で走り回っていたくらいだ。

なんでも話せる友人がいたから何事も起きず平穏無事でいられたのだ。

あの頃の友達とは自分のわがままで縁が切れてしまった。何度も思うが後悔しているが会おうという行動に出ない臆病者だ。

ある意味では私は今でもケーキを三等分には切れないかも知れないが、今はみんなで分け合えるカップケーキやピースケーキ、ドーナツを選ぶことは知っている。

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