ストレスの楽しみかた「人間関係-同級生」

ストレスの楽しみかた

過去にとらわれるのは人間の習性だと思う。これはまともだと感じる。

いつまでもやられたことは忘れない。小学生の時のいじめられた相手の顔と名前も今でも記憶しているのは悪いことではない。とてもまともな感情だ。

私にとってはお殿様に献上しても良いくらいの極上品の執念で、美味しく召し上がれるように調理もしたい。

過去のそういった出来事は、お金を数えるよりも楽しくなるものだ。

同級生

私は当時「変わった子供」だったので異物だった。

当然、集団生活の中でははじかれる対象になるし高校を卒業するまでは異性と一部の先生からはいじめの対象だった。

ぐれなかったのは同性の友達がいたからだし、こちらのこと認識してなくても見習いたい良い先生がいたからだと思う。

これはもう私の中でそういう流れを汲んでいるのかわからないが、私をいじめたたいていの人間が不幸に見舞われているからだ。

この因果応報の連鎖は大小があるが私に関わってきた人には、今でもそうなる可能性が高い。

何も手を下さずとも最高の結果が出たときは本当に御飯が美味しいものだ。

歪んでいると思われても仕方がない。実際そうなのだから私は現実を受け止める。

また美味しいご飯が頂けるようにと星に願い、そして心よりの笑顔でご飯を頂く。

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