デブの言い訳だし異論も認める。
これは実妹の言葉だ。そういう実妹はスタイルは良くむしろガリガリを目指している。
この矛盾が人間だ。
私は幼いころから「デブ」でいじられることは良くあった。しかも一人遊びの類が好きで絵をかいたり絵本をよく読む根暗な子と言われたこともある。
こういうことを思い出すと子供が残酷なのではなく、こう言う大人が凶悪である。
今は容姿を見下す言葉などは差別用語として発してはいけないとかされているが、それが何の意味があるのだと思う。
そんなことで抑え込んでも人間がいる限り無くならないというのにご苦労なことだ。
デブはデブだ。
「可愛いデブを目指しましょう」
これは実姉の言葉だ。実際姉は「モテるの可愛いデブ」だ。しかもこの年齢できちんと程よく痩せてきているので「バランスの良い可愛いデブ」になってきている。
世の中にはいろんなデブがいる。
私自身ずっとデブだったわけではなく20歳代は急に痩せた。若さの代謝の分もあるが貧乏で食えなかったし一番精神が心がやられてた時代でもあった。
痩せたと言っても身長にあった標準体型になっただけのことで、元からのデブには貧乏で痩せたという記憶しかない。
そういう体験もあるからこそ「痩せるということは貧乏」という考えが固定されてしまっているかもしれない。
私にとってすべてのデブは「悪」ではない。
確かに自堕落な生活の結果や病気になることも多々ある。しかしもとからの病気の人もいるし骨格からその体系を維持しなければならない人も知っている。
心掛けていることは「小汚い不潔なデブ」にならないことぐらいだ。見るからに不衛生で異臭を放つデブは核爆弾に等しいと思っている。
最近は「白いものを食べると太る」なんて言葉がある。
デブはお米でお腹いっぱいにするから太る理屈もわかるが、今よりずっと昔の米ばかり食っている時代には白米が食べれることが裕福だったのに何故そうなったのだろう。
時代のせいだと一言で片づけてしまえばとても楽だろうが、私はこれからも大病もすることのない「健康的で清潔なデブ」を目指して生きようとは思う。
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