人は神にはなれないが「仏」にはなる。だからといって情け深い人間にはなれない。

長文

これは私がこのブログに初投稿した内容を掘り下げていきたいと思った。

人は神にはなれないが「仏」にはなる。

人間だもの。

こうやって自分の考えや思いを一年近く発信してきたが、それは「自分のため」であって決して共感を得られるものでないと理解している。

自分の中で自己完結はまだまだほど遠いが気持ちの整理をつけるための発信だ。

なら日記に書いていけばよいのだろうと感じるのだが、日記をつけ始めてもほぼ一か月も続かない。

好きで夢中になれるとか、何かを思う存分続けていきたいことは容易なことではないのは充分に理解しているのでただ純粋に「やってみたいこと」を始めてみただけだ。

何かを課したらよいのではと感じ、サーバーを借りドメインを取得しワードプレスを使ってみる。

上手く使用はできていないが、その仕組みを少しづつ理解していくのは楽しい。

そうこうしているうちに一年近くがたった。「やればできる子」と自分を誉めてまた何か新しいことに挑戦しようと思う。

だが自分の根本的なことは変化はない。

いつだって「恨んで生きている」あの時されたことは忘れない。叶うことならこの手でと強く感じるだけだ。

殺意など人間にとって当たり前の感情だと思っている。

だからと言って行動に移すかどうかは別の話だ。簡単に紐付けできる性格ならあの時すでにしている。

動機など後付けできる理由だ。

どうやっても私は善良な人間にはなれないし、そう変えていく気持ちもない。

このまま自分の薄暗く汚い感情を大事にして生きていきたい。それが私のチカラなのなら大きくするだけだ。

この思いが変わることなく続けていられるのは「やりたいこと」を一歩でも進めているからだと思う。

自身の否定し続けた狂った考え方を認めたからだ。

この頭のいかれた行動と考え方は多くの人に批判され徹底的に攻撃されるかもしれない。

今までそうだったのだ。これからも何が違うのだろう。恨みのチカラが倍増してもっと自信がつくかもしれない。

あの時死んでも良かったのだから、いつ死んだっていいはずだ。なら月並みにいつ死んでもいいようにやりたいことはする。

そしてこの景色を見ながら死ねたらどんなに良いことだろうと、いつものように海が見える窓辺で作業していると少しの間だけ心が穏やかになる。

こうやってその時になったら「仏」になることを望み、情を捨ててきたことを悔やんで死にたい。

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