人はなぜ死が近ずくと本性を現し、他人を攻撃するのか

長文

もともと本性も野獣性も表している人もいる。私もその例外ではない。

私はここでよく書いているのだが「歳を無駄に取ったとわかる年寄りが嫌い」だ。

私もそれに当てはまる。同族嫌悪の類だ。

特に後の時代に継ぐこともせず無能のまま低所得で生きている。

だれがそんな人間を認め尊敬してもらえると思っているのか。身の程知らずでごもっともです。

時代は善も悪も名は高く上がり見知らぬ人間に褒めたたえられ地獄に落とされる。

境目は無くなり種類わけもあいまいになりそれを平等だと勘違いする。

世界は私も含めて本当の馬鹿になっているのかと思う。

私は常々「年寄り」は若者の指針を示す立場でなくてはならないと思っている。

大きな意味ではなく、いざという時に手助けできる存在ということだ。そして老兵は引き際をわきまえて去るべきなのだ。

しかし現実はそんなことはなく、自分の居場所を誇らしげに見せ権力を振りかざし場合によっては暴力と暴言で、意地汚くその場に居ようとする。

全員が全員と言っているわけではない。そのような人間が多く目立ついうことだ。

だから私は出来るだけ還暦60歳でいろんな意味で現場から離れ生きていきたいと思っている。

多少のブランクはあるが社員でもアルバイトでもしてきてずっと働いてきたのだ。無駄な金もあったが、お国には十分な税金は払っていると思っているし最低限の生活を保障していただきたいものだ。

そうしないと余計な事ばかり行う、言う目の前の80歳近くの年寄りと同じになってしまう。会社は介護施設ではないのだ。いくら解雇出来ないからといって次世代を育てることの出来ないのは素人目に目ても問題があるのではと感じる。

まあ私の会社ではないし無責任なことは言えないので、ここだけにしておこう。お国の政治に関してもそうだ。

結局は私は自分で何も出来ない人間なのだ。

年寄りが攻撃的になる一つの原因は「役に立たなかったら捨てられる」という遺伝子情報なのかもしれないと最近は思い始めた。

昔話にある「姥捨て山」の流れを継いでいるのかもしれないと感じた。

歳を取ったら住む場所も確保できないときもある。身内からも迷惑がられて見放される場合もある。世間から社会から邪魔者扱いされる。

だから歳を取ったら老人になったら攻撃を主とした動きが一番楽だから自分の存在意味をアピールしている。

今は私の中でそう一旦完結つけた。

そして私は60歳になったら安楽死できる選択権を与えてほしいと思っている。

たとえ半年後の安楽死予約が取れて、もし何らかの理由が出来て生きる気力が出てきても予約日は堂々と死にたい。

生きられなかった人のことを考えろなどの言葉は私には筋違いだ。

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