「馬鹿と天才は紙一重」という言葉がある。
それはどちらも常人に理解しきれない行動をとるからだという。
私には「その常人とはなにか」という問いしかない。質問を質問で返すおバカなことをする私の中には常人などいない。
「当たり前のことを当たり前にする」ということは大切だ。
仕事に対してはそうだろうし、たとえ非正規従業員だとしても場面によっては決断に迫られることもある。
馬鹿は馬鹿なりに生きている。
そしてここまでそうして生きてきたのだから不都合は多くあったし死にかけた。そして今は心が死にかけている時もあるが、どうということはなく五体満足だ。
この小さな積み重ねをすることにより、まだまだ自分のことが嫌いな私でもちょっとした自惚れになり自信につながってきた。
自分のことは嫌いでいい。
だからそういう自分を好きになれることがわかった。
「裏を返せば、それが表となる」
誰がいった言葉だろうか、記憶の片隅にはあるのだが調べても出てこない。
善と悪のような切っても切れない関係だが紙一重と似ているようで意味は違う。
意味は違っていても自分のとらえ方次第で多面的に物事を見、ひっくり返して受け取ることが出来る。
前向きにとは思っていない。人間の考えることなど薄暗くて嫌味な物ばかりが多いのだ。
どうぜならその漆黒の部分を見るつもりで裏返せばいいのだ。
根暗な私には趣味の悪い神経衰弱となる。
まともに生きるということに強くとらわれていた。自分の思う正しい生き方はどれだけ自分を苦しめていたのかと本当に今は思う。
人間は表と裏がある。そうれがわかっているくせに表を信じようとするのはまだ私の心の中に純真な気持ちでいる自分があるからだ。
何でもかんでも誰彼かまわず向けている場合ではない。もうこの先はまともでいられる時間が少ないのだ。
世間的には良いイメージではないが私は人間関係を新しくすることが過去何度もある。
何度も職場を変えてきて、大事な友人さえも連絡を絶った。
今思えばそれも自分を守るための行動だったと感じる。
いまもそうだ。いつだってここを出ていく準備はしている。
自分で決めてここに来たのだから、自分で出ていくことも決める。その行動が間違いだったとしても今は自惚れた自信を身に着けているから何とかなると思っている。
不安だらけの世の中過ぎて、もうそれくらい肩の力を抜く方がいい。
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