私は嫌いな人間にこれを問われた。
嫌いな人間に「皆で協力、助け合い」とか言われても耳に入ってくることはない。当然寝言は寝て言えという格言が当てはまるし、カウンセラー気取りの「私、あなたのために思っていっている」お年寄りは早めに土に還って頂きたい。
私は私に危害を加える人間とは協力したくはないし、ましては一緒に生きていく義務などない。
別に一人で生きているつもりもない。そういう人たちにはそう見えるだけだ。
集団の中で皆と仲良くすることが正義の人間は本当に厄介だ。個々を認める力がなく自身の無知さをひけらかす。
洗脳されているようにしか見えないから関わってくるなと言っても、「自分を愛しすぎちゃって周りが見えない教」の行き過ぎた人たちだ。
私はどの時代でも一人でいることは苦痛にならないタイプだ。
幼いころは一人で絵本を読み絵を描き、なんなら着せ替え人形など買って貰えなかったから自分で描いて自作して一人遊びをしていたくらいだ。
かといっても近所は同年代が多かったから外でも遊んだ。
近年でもこの年齢で一人でディズニーランドを楽しみ、一人映画も当然だが焼肉もいく。移住してからもそのほとんどが一人で行動している。
なぜ一人でいる人間を責めるのかが、わからない。
だからと言って一人で生きているとは思ってはいない。
例えば温かい食事ができるのは社員食堂の皆さんやスーパーで働いてる総菜屋さん・食堂を開いている人のおかげだし、その食材も育てている人・流通に販売に関わる人など様々な人達を経由して自分のもとに来ている。そして具合が悪くなったら医者にかかる。
一人で生きていないことを実感する。
そしてそういう言葉を発する輩は自分を褒めたたえてもらいたい、自分は立派なことを言っている尊敬に値する人間なのだということを言ってもらいたいだけのアホウだ。
そして私もそのアホウにならないために失敗を多く繰り返しながら、一人で決めることもしているだけのただの私という人間だ。
毎日が小さな決断の積み重ねているのに、いつまでも他人の物差しで計ったものに自分を当てはめてしまうからおかしなことがおこる。
重要なのは自分がどう考えて行動するかということをやっと身についてきた。
そして一緒に行動する周りはどう動いていいるかが何となく見えれば良いと思っている。
集団の中で生きる「自分」は今はこれで良いと感じている。
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