「ピンチはチャンス」とは言うが、生臭であまのじゃくの私にはピンチはパニックの始まりでしかない。
正常な判断は出来なくなり体は硬直し恐怖は頂点になり、笑いが出るくらいだ。
ただ今までの仕事や私生活の経験上、今の状況は最大のピンチだとは思っていない。
死ぬときは死ぬし、生きるときは生きる。という単純な私なりの答えが出ているので「自分は出来ることをやる」というのがやっと自分の中心に置けるようになってきたからだ。
時々それが派手に揺れ動くこともあるのだが、元に戻すことは今は出来る。
しかしこの先はわからない。私は預言者ではないし強靭な鋼のメンタルをもっているつもりもない。
逆転の発想というのは、その場に見合ったものを選んで発言や行動が出来たりするものだと感じる。
その発想はどこから生まれてくるのかと言ったら自分自身の中にしかないし、本や記憶などの頭のすみに置いているものを叩き起こし多くの場合は自分と他人を納得させるものに仕上げていくものだと思う。
私には自分を納得させることは暴れながらできると思うが、他人など納得させる材料などそろえてはいない。
そこまでしてやるものかと濁ってまっすぐでない思いまである。
それが私だと分かっている今、その発想はとても魅力的で私にも出来ないかと探しては見ている。
だが探したところで見つかるものではない。土壇場の心がぎりぎりの状態でないと出ないだろう。
ならそう思うと崖っぷちにいつまでもいなきゃならない状況を作るのなら、私は保身のため柵の内側で温かい缶コーヒーでも飲んでいたい。
柵の内側でも崖の高さは充分にわかるのだから、わざわざそんな落ちるところまでいかなくても考えられるのではないかと感じる。
移住してから2年半、自分自身の物事の進め方や目指すものが大きく変わってきた。
変わったというより元よりあったものが、行動になってきたというものが半分ぐらい実感できる。
今よりもっと体力があり自分を信じて行動できた頃があった。それがなんとなく背中を支えてくれているとそう思いたい。
見方を受け取り方を変えることで自分の自信がこんなにも取り戻せることを知った。
やっとたどり着いたのではなく、一つの答えを出したに過ぎない。
よく世の中で言われていることをがやっとわかった。
今の私の崖には柵はあるが何個か鍵の付いたドアもあることだ。いまはその鍵を増やす方法か崖が見えない柵を立てるようにしていきたいと思う。
追い込まれる前に対処できるようにしたい。
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