万人に好かれることはないのだから、嫌いな人間には我慢することはない。

長文

まだまだ「我慢している人」は多いし「我慢を強いられる人」も多い。

大体の人間は「優しい生き物」なのだ。

だからこそ「心に引っかかる言葉を言われても我慢」することが多い。

先人たちがそうしてきたおかげで、「我慢は美徳」「私が我慢していれば、この場は収まる」こういう遺伝子が組み込まれているレベルだ。

そして声を上げることはとても勇気がいる。

泣きたくもなる吐き気もする寒気もする。それを超えることは簡単ではない。

だが「我慢する」ことを止めたとき、自分を誉めてあげて欲しいと思う。

「我慢」にはいろいろある。なかには自分がうぬぼれている証みたいなことまである。

そんなものは先人たちが自分の都合の良いように書き他人に思わせてきたことだ。いわゆる洗脳のひとつだと感じる。

そう私は決めた。人はいつだって自分中心なのだから自分のことは自分で決めればよいのだ。

まずは自分に問いかけてみることをと書き出しをしてみる。

「誰に我慢しているか」「何に我慢しているか」「どんなことを言われて我慢しているか」

細かくわかるなら気になるところがあるなら書き込んでいく。

この時間は決して無駄ではない。自分の気持ちを整理するための時間だ。

私にとっては「相手を恨む時間、呪う時間」なのでとっても有効的だ。笑顔で行っていると素敵な時間となり楽しくなる。

世界大戦中の標語のように勝つまで我慢していても良いことなんて何もない。

大増税時代の今、生活が貧困化し困窮している。政府から我慢を強いられ心の余裕がなくなっている。

ただでさえ人間は自分より強い者には立ち向かわないし、立ち向かってもねじ伏せられることが多いので通常の気力は落ちる。

そうなってくるといつだって「立場が弱い者」にありとあらゆる「チカラ」を振るう。

命の危険がすぐそこに迫っているときに、この国は何もしてくれないことが多いのなら自衛する手段を探す。

「自分の心に素直になる」ことだ。

欲に素直になると犯罪を犯す羽目になるので、そんな方は根こそぎ退治したいところだ。

ひとつ思ったことを行動するだけで、劇的には変わらないが「やってやった。いってやった」という経験になる。

その後、他人の目は必ず気になるし何か言ってくる、集団で攻撃してくることもあるだろう。そして萎縮し泣いてしまうこともある。

だがひとつ行動できたことに自分を誉めてほしい。

一人になっても自分は間違っていないと自分を信じて行動してほしい。

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