目標となるもの
「志-こころざし」と書けば固くなってしまいそうだが何か恰好良いから使ってみる。
基本は「自分を信じる」宗教なので、それを目標にしていけば良いのだが「自分を信じる」といっても何からやっていけばわからないことだってあります。
ひとつひとつは小さな細かい自身の感情と向き合って決断の積み重ねなので、大きく目標を立てて指針が見えなくなるのは元も子もなくなるでしょう。
バイキングにいって食べたいものが何個もある時、決断が鈍るのと一緒の感覚でしょうか。
「今やらなければいけないこと」も多く目の前の選択肢に迷いあわててしまうことなんてよくあることです。
私は「1時間目標」を決めて仕事や趣味をしています。
予定外のこともあるでしょうが、それが達成できなかったとしても自分を責めたりしません。
効率も重視しているわけでもなく反省もしません。
ただ「ここまでやる」ということを決めているだけなのです。
早く終ればラッキー。終わらなかったら残念。さあ次の一時間と行動して「ラッキー」が今日は多かったな「私すごい」としてしまうのです。
残念が多かったら無視です。「自分教」なのですから自信につながらないものはポイ捨てです。
自信というのは本当に小さな積み重ねだとわかってきます。
行動した後うろたえ冷や汗もかき泣きそうになっても、それは自分を信じ行動した証だと思っています。
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