淘汰される

自己中心的で自由な一言

私の幼い頃はよく知らない他人を引き合いにされて躾の一環の言葉があったし、今でも観念が強すぎてねじ曲がった人間にはずっと根底にあるだろう。

「世界ではご飯も食べれない子がいるんだ」といって好き嫌いなく食べさせようとしたりしたくせに「よそはよそ、うちはうち」という両方に逃げれる答えを伝統的に使っていた。

幼い私は大人が言っていることは正しいと思っていたが年頃になるとやはりは反抗もしたがるので「なぜなになんで」も連発して嫌な子供だったに違いない。

そしてあれから孫がいておかしくない年齢になった。

世界は大きく変わり車が空を飛ぶことはなかったが未だアホで間抜けな口伝伝承はまだ続き、世の中は便利になったとは言え人間が愚かしいのは全く変わっていない。

だから時々その人間はその流れの中で「淘汰される」のだと感じてしまった。

世の中に起こっていることのその事柄は悲しいことだが「必然」なのだ。

「歴史を学べ」ということはそういうことなんだと泣けてきた。

きっとまた同じことの繰り返しなんだと本当に理解できた。

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