人様や他人に対する「思い込み」や「決めつけ」はあってはならないが口に出さず心に思ってこじらせている分には良い。
「思い込み」はいわゆる「周りの意見を聞かず自分を信じている勘違い」だと私は思う。
これが自分にとって「良い方向へ」作用するなら尚の事その壮大な勘違いを自分のものにすればよい。
「やればできる子」なんてものは他人が言うことだがその代表格だろう。
自分自身「やればできる子」と思い込めば「いつだって私はやればできる」という行動勘違いで自分自の心を盛り上げられる。
あくまでもそれは自分にかける「暗示」のようなものであって他人に向けるものではないことだ。
そしていつかは本当の「やればできる子」に向かい行動し始める。いわゆる「無謀な挑戦」といわれるやつだ。
良いではないか「無謀な挑戦」
他人の多くは「それは止めた方は良い」「それはあなたには合っていない」とい否定してくる輩が多いのが現実だ。
自分自身で複雑にした大いなる勘違いを発揮する時が来たのだ。
「私は出来る」それに乗っ取り行動意欲を高めるのは素晴らしいことだと私は感じる。
ただこれは「やりたい物事」に対してあり「人」に向けてやることではない。ほぼ犯罪行為に当たり暴力的な思考となる。
そして私はその「思い込み」で「やればできる子」になってきた。
毎日が苦しいことより楽しいが上回るのはそのせいだと気が付く。
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