過去の栄光を語る人々

ほとんど毎日

これはもはやその人の食えない美味しくない「名物」である。

この行為は「また始まった」と思われ誰彼かまわず人を嫌な気分にさせるし内心では笑われ馬鹿にされ、その人の人生が終わったとされる。

だがそれが「不名誉」となるのかといえば違う。

その語っている本人にだけには「素敵な思い出」なのだ。

それに賛同するものが時々現れるがそれは同じ時代や時期同期だったりするがまずは一旦置いておく。

こんな私でも若い頃や中間管理職だった時は、このような話をする人間には多少は気を使い胡麻をすりブラック体質な会社なところもあったので洗脳もされていたのだと思う。

本人にとってはその「楽しい思い出」を美化し自分に自信をつける材料なのだ。

この年齢になると「ある程度」だがその意味がわかってくる。

私も過去に囚われいつまでも引きづっているのは形が違えど同じようなものだ。私は違うと絶対的な断言はできない。

過去の栄光や名誉は「その時が自分にとって一番よかった」と若く成功してれば尚のことそれにしがみ付く。

私にはそれさえない。

なんて羨ましいことだろうと思った。そしてやはり馬鹿に思うのだ。

なぜなら私は「今が一番楽しい」からだ。

成功体験も名誉なことなど一つもない。一つぐらいあっただろうが苦しみをそれを上回るのなら「ない」に等しいと思っている。

私は死ぬとき「今」を過去の栄光にして語りたいので「今」を全力で楽しみたい。

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