「誰が」「何を」言ったか

ほとんど毎日

私は読書は好きだが文法は理解していない。

何度も学んできているのだが頭の中がいつもクエスチョンマークでいっぱいだ。

そんな中でも生きていれば解ることがある。

決め手のひとつになるのは「誰が」「何を」言ったかだ。

好きで尊敬する人物の言葉は盲信的に信じて疑問にも思わないし「他人に強要する」場合もあるだろう。

ただその尊敬している人の言葉が自分の口から出たらどうなるか。

「そうあの人が言ってたよ」という噂話の下衆な他責思考のクズになる。これは極端に言い過ぎたし偏った考えだろうが私にはそう感じてしまう。

あれだけ「そうはなりたくはない」と言っておきながら私も少なからずそうなっている時の事がある。

さておき、やはり「肩書」はその人を表す一つの「目安」だ。

誰でも知っている企業に勤めている有名大学に在籍しているからで「その言葉」を信じることだってあるのだ。

「肩書」のある「誰か」が「何か」言っただけでその聞いた人間の思考の「すべて」になる時が一番怖い。

そして「肩書」のない私のようなものが何を言っても響かないことの方が多い。

受け取り側の判断と責任にすべてがあるような物言いする奴もいるのだから、どの場面でも素直に聞き入れる私が見当たらない。

そう意味では今の私は誰の言うことも聞いていない自己中で生きている。

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