「中途半端」な愛情と形

「血のつながり」という妨害者

生家は不思議な家だった。

私が生まれる間に「父」が設計したと聞いている。

成人してから様々な仕事を転々とし建築業界にもそこそこ長く携わって気が付くこともあるが、生家の設計は不思議というより「要領が悪い家」というか「導線がおかしい家」だった。

雪国だというのに「壁」がほとんどない。玄関やお風呂に雪国に必要なものが「ついていない」断熱材が入っていないような「寒い家」

デザインを無視した「自分が思ったもの」「想像したもの」を形にしただけの薄いベニヤ板も多い「張りぼて」や「書き割り」のような家。

当然あちこちは「資金」不足と思われるぐらいのスカスカ。

トイレには便座がない。風呂にはドアがない。玄関の二重ポーチも無ければあちこち壁もドアもないから仕切りはカーテンや布で雪国の冬を過ごしていた。

「見栄っ張り」が創った家は私が高校卒業し出ていってから十年もしないうちに借金もあり人手に渡り、そのうち更地になっていた。

「父」の部屋だけは明るい場所にしっかりと別に確保され誰にも邪魔されないような場所に作り「自分の空間」だけしっかり作っていた家だった。

そう父は「自分だけ」はしっかりと守っていたのだ。

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