私の兄弟姉妹関係は少しだけ特殊である。
「父」は兄と姉「母」は姉のお互い連れ子同士で再婚、私が生まれ下に二人いる。全部で六人兄弟姉妹だ。
「両親」世代では珍しいことではないと思うが当時でも稀で兄弟姉妹が多かった。
「母」の実家は詳しくは知らないが昔ながらのいわゆる「豪農」の部類だったと思う。
正月には親戚中がその家に集まった。
当然のように女性たちは「おさんどん」で立ち回り、幼かった私たちも嫌々ながらもお年玉目当てで親戚にお酌して回った記憶がある。
私などは正月ぐらいしかその集まりにしか行かなかったのでのちに聞いた話だが、母方のじいさんは田舎の農家の悪いイメージそのものの人だったと聞く。
そんな中でも当時は農家と言えど「金まわり」は良かったのだろう。
「父」は「母の連れ子」の養育費を母方のじいさんに要求した。
正月早々から大騒動である。
農家独特の高慢不遜のじいさんの本性とプライドだけは一流の「父」のバトルは相当なものだったと聞いている。
私たち子どもたちは別部屋で集まっていたからその口火は見ていないが大騒ぎしていたのは確かだ。
次の年から母方のじいさんの「正月参り」は無くなったのだから事実だと思うし「父」の性格上やりかねないと今でも思う。
「父」は出戻りこぶ付きの「母」を「もらってやった」という感覚だっただろう予想が出来たし、父自身も「再婚の連れ子二人」ということも忘れていたのか。
今でも不祥事が母親にあったとしても離婚の多くが「母親」に親権がいく時代で「父」が持っていたということはなんとなくわかる。
自分の言うことを聞く「奉仕者」が欲しかっただけのように思える。子供の判断を鈍らせることなんて「父」はするだろう。
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