外堀から埋める「静かなる支配欲」

「血のつながり」という妨害者

私が心身ともに辟易し本当に何もかも嫌になっていた時を狙っていたのだろうかと思うほど、そのタイミングは絶妙だった。

「父」は私の承諾も得ず手をまわし親戚筋の仕事をあっせんし見合いまで持ってきた。

生きていて何もかも嫌になった時期は何度かあるが、あの時ほど背中から狙われ打たれたような「追い打ち」を掛けられたことはない。

「戻ってくればよい」

簡単に「父」はそういった。お前たちがいつでも帰ってきても良いようにとか言いながら自分の物ばかりあふれている納屋のようなオンボロ小屋に帰れというのか。

そういう言葉はきちんと再建したら言うべきだと私は思っている。

たとえ「父」の「城」だとしてもいつ二回から落ちてもおかしくない手すりの無い小屋には帰れない。

当然のごとく私は発狂し拒否した。

その言葉の裏の意味も「俺の近くにいて面倒を見ろ」とうことが解っていたからだ。

ただ都合の良い自分の言うことを聞きそうな人間をそばに置いておきたいだけなのだ。

そうやって相手の気持ちを考えない「父」は今も相手の気持ちなど考えず人様をけなしてこき下ろす。

そして端々に見え隠れする女子供を悪く言い「自分は良いことをしている」と勘違いして生きている。

私が基本「男性」が嫌いなのは「父」を見ているからだし「年寄り」が嫌いなのは身内にこんな人間がいるからなのだ。

だから「姥捨て山」も年寄りの「集団自決」も私の中では恐ろしいくらいの感情がうごめく正義となる。

あんな血が流れているのだから、そうなってしまう前に私も長生きなどしたくはない。

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