話を聞かない「私と私と君は誰?」

ほとんど毎日

 私は「私」でいるために自身の中に何人か、居る。

いわゆる幼少期にある「イマジナリーフレンド」青年期にある「中二病」大人の防衛本能、思考のコントロールするための「自分」だろうか。

べつに病院で診断された覚えもないし人格が入れ替わるようなホラーがあるわけではない。他人からの暴力によって自覚したのは確かだが、悪魔が乗り移っているわけではない。

頭の中の混乱を暴走させないために「居る」ものだ。

だが結局は「私」なので大暴走する。

歳を取ってだいぶ落ち着いてきたが、それでも「私」はいつだって頭がおかしくなる傾向があるので、自分を救うためにこの方法を取り入れている。

普段の「私」を演技するためにも必要だからだ。

使い分けもして何人もいるので時々「誰か」が生まれる時がある。

コントロールできていないのではなく、いわゆる「脇役」モブその他大勢がひょっこり、入る。

そして大体「私」なので言うことなどちっとも聞かない。

こんなんで何十年も生きてきた。それで何とか「生きる」ことを保ってきた。

だから私が死ぬときに一緒に、死ぬ。

きっとそれで私は死ぬことが怖くないのだろう。死ぬことは「恐怖」というより「救い」でもあるし私の中の「私」は死神でもあるし天使だ。

メメント・モリ
「自分がいつか必ず死ぬことを忘れるな」「人に訪れる死を忘ることなかれ」

左手に何かが乗り移りうずかないが、そんなことを心の隅になんとなく置いて生きているから今は「私」が「私」を支えなんとなく楽しく生きている。

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