「生命に対する侮辱」が沁み込んでいる

ほとんど毎日

言ってはいけないことを言う。

そんな「最低ライン」のことは言わなくても知っているが思うことは通常にある。

「嫌いな人間は死ね」なんて私にとっては日ごろから思うことなので、何が問題なのか。

目の前で知らない他人が死んでいくのを何度か見たし、自身も他人からの命の危険に犯されて生きてきた。

聖人君子のような「愛」ばかり唱えても自分の心は救われない。

そんなことに蓋をして生きていってもどうしようもない。

人としてお悔やみを言うことは当たり前に知っているし、本当に他人の死に対して可哀想とは思っているのかと言えば「親密度」による。

そして残された人間の「親密度」に対して共感できて支えになれるかだ。

そしてまた別に「好きな有名人」が亡くなれば「とても惜しい人を亡くした」と思うし、特に気にならない有名人も若ければ「まだこれからなのに」とも思うし年相応だと「大往生なのかな」と思うのも自分の気持ちの采配だ。

なんだかよくわからないが「死」を強制して共有したがるのは何なのかと思うことがある。

私がこれだけ悲しんでいるのだから、あなたも悲しめ的な。

私がこれだけ苦しんでいるのだから、あなたも苦しめと同列なやつ。

「人間の命は平等ではない」

それを私の狭い世界で間近でよく感じてきたからこそ、思う。

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