行方知らずの「多様性」

自己中心的で自由な一言

なんだか私の「多様性」と世間の声高々に言われている「多様性」がすごく、ずれている。

世の中の声が高く大きいのは私から見れば「偏った」ものにしか見えない、聞こえない。

私の多様性は「私はそれは好きではないが、それを好きな人がいるのは解っている」そう素直に率直に言える尊重しあえる世界だ。

これは私が「絵」や「漫画」に関していつも思っていることで「好きなジャンル」「苦手なジャンル」があり私が育てた性質「趣味趣向」が反映する。

なんだか世の中の傾向は「排除」と「押しつけ」「強制」に近く、毎回私の心が揺さぶられ吐き気と苛立ちに変わるのだ。

そして「法」にして押さえつけようとする「脅迫行為」にしか見えない。

以前にも何度か書いたが「法律は男が作ってきているもので男に有利に作られている」のが持論でいまだに女性の余地が入っているようなものが「目立たない」

先立って声を上げてきた女性たちがせっかく勝ち取ってきた権利をないがしろにしていくような「法案」はあってはならない。

「自認」が許され「法」が制定されるなら、私は「年齢を未成年だと自認」し私の権利を脅かす奴らを殺したって構わないと思っているくらい気持ちは追いつめられている。

やめてくれ。

ここで何度も書いている話題だが、憤り高揚してしまうので自身の記録のために書いている。

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