一部の「大声」の「受け皿」

自己中心的で自由な一言

私、その大きな「枠組み」で捉えられて簡単に判断される仕組みが、嫌いだ。

これは幼いころからそうだった記憶がある。

「女だから」「男だから」「子供だから」「大人だから」今でもそう。

「あの人はそういう人だから」といって「いじめ」や「仲間外れ」を平気でして、自分に合わない人間だからと言って「排除」しようとして周りを味方につけて今ではSNSに拡散され「貶める」

そんな本能で生きてる人間が「差別」するなとか、ちゃんちゃらおかしい。

変わらなければいけない時代なのは解っているが、どことなくというより「ねじ曲がってどうしようもない」差別が大きくうねり毒を発している魔物のようだ。

なら退治するしかないと思われても仕方がなかろうが。

やり方を間違えている。

何をしても他人から否定されるような私に言われるようでは、お終いだ。

個々個人には色んな様々な「受け皿」が用意されているのにも気が付かずに「同じ料理」を大量に乗せるようなやり方はダメなのだ。

そんなことを前提にしていかないとダメなのだ。

割れた皿に熱いスープを入れて冷まさないうちに飲ませるようなやり方が多すぎる。

ま、私も人のことは言えない。

自身の「受け皿」もまだ多くきちんとした判別で選びきれてないのに、相手の「受け皿」はどんなものかも計れないようでは、だめだ。

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