「勢い」に任せた「そこそこの充実感」

「血のつながり」という妨害者

私は知能が高い人間ではないので「行動力」に全振りして手元に残ったものを選択していくほかはないと思っている。

今回は嫌いな「父」のため「一人暮らし」をさせる準備に取り掛かっているが、まあ当然上手くはいかない。

予想はしていた。貸してくれる賃貸はない。これが現実。

「死にゆくもの」に貸してくれるものはせいぜい綺麗ごとの人情が残っていた昭和時代ぐらいのものだ。

当然前から市や県の住宅申し込みは当然進めているが「父」の名義でなくてはいけない。

私たちは少しでも関係を切らねばならないのだ。

すべては「私」のため。

様々な計画と行動と問題の中、つまづくことより「障壁が高い」ことが実感させられる。

私が老人になるころにはもっと絶望的な壁が用意されることが充分に感じ取れる。

希望がない未来を真に当たりにすると人間は気力が落ちどうでもよくなり、いっそのこと政府に一矢報いてから死のうかとまでなる。

極端かつ短絡的な私にはお似合いの「答え」だ。

だが今の私は「敗ける」ことはあっても「火事場」ではない訳の判らないところからでる「みなぎるチカラ」が出てきているので、それに任せるだけ。

なぜならあの「父」の地獄に落ちるさまを近くでみれるからだ。

自分勝手に生きてきた「父」

感謝の言葉も言えない「父」

自分可哀想と思って欲しい「父」

自分中心に見て欲しい「父」

浮気をしても平気でいる「父」

年寄りだからといって行動が変えられないからといって許すものか。

私のとって「最上級」の材料が目の前に来ると思うと脳の神経のどこかがイカレ始めてきているのが分かる。

ぞわぞわした高揚感。

私はしばらくその興奮に身を任せたい。

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