他人の考えは「異世界との遭遇」

「血のつながり」という妨害者

私は親でも兄弟姉妹でも血縁関係があっても所詮「他人」なので全てを解りあえると思っていない。

解り合えると思っているのは「気のせい」でそう思いたいだけだし「つながり」を求めているだけなのだ。

「つながり」は「両者」の気持ちの差異が少なければ関係が成り立つのであって、大きければただ「否定」するに限る。

私には私の夢を馬鹿にし「否定」した「父」など必要ない存在なのだ。

そしてそれを「都合よく忘れた父」など価値のない生物なのである。

私は言い聞かせているのに近いが「父」を引き取り面倒を見ていくのは「観察日記」をつけていくようなもので、この生物はどのような最後を見せていくれるのか楽しみにしているだけだ。

他人の考えに振り回されてきたのは自分自身。

それは打ち消すことの出来ない過去だが、今はもう「選択肢」を狭めることは出来るだけ避けるし、高濃度な「父」に対するストレスも少しずつだが「楽しめる」ようになってきた。

「自分の欲望は、他人が聴いてくれるのが当たり前」で生きてきた「父」とは身内として不愉快な存在だか「他人」としてみれば、いくらかまし。

わざわざ「他人」の気持ちを理解しようとする行動などしなくても良いと判断している。

これは「父」に対してだけでなく「私と他人」の間にある「規則」決まり事なのだ。

ある程度の「同感」は人間関係を円滑にするために必要な事だが「必須」ではない。

そんな「父」という他人のために自分の意識を濁らせてはいけない。

何度も何度も「私のため」に言い聞かせる。

気色の悪い「他人の扉」はうかつに開けてはいけないし興味本位でノックもしてはいけない。

「同情」も要らないので、そこまで高める自分を作っていくのがまた一つ「目標」となる。

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