内外の私との「摩擦」

ほとんど毎日

「私らしく生きる」のは「我儘に振る舞い自己中心で生きる」ことはない。

私の「私らしく生きる」は「自分の思っていることを素直に受け止める」ことだ。

プロフィールにも書いてあるが「他人を恨むことはいけない事」だと思っていたし、それは「悪」だと決めつけていた。

「自分が幸せになることが最大の復讐」なんて言葉に縛られ自分の意思も乗せないまま心に留めていた。

そんなことはないよね。

それは「自分の気持ちを押し殺して生きている」ことだとようやく気が付いて、目の前が開けた。

移住して都会では見られない広い空と広い海を目の前にして暮らし始めたことが、私にとって「幸せ」の第一歩となった。

「人を恨んで生きる」

それが私の「正解」のひとつ。私の中の「正しい答え」のひとつ。

これを今までのように「他人の心地よい耳障りの良い前向きな言葉」で美化するのではなく、私らしい「自分の言葉」で飾り彩ることにしたら私らしい「前向き」になり生きている。

「人を恨んでよい。嫌っても良い。死ねと思って良い」

悪口は確かに自分を不甲斐ないものにさせるが、それが何だというのか。黙って自分の口を閉じてろというのか。自分の気持ちを無視するのか。

その人は私にとってその「価」があるのだから、その「価値」をつけてあげる。

それを「徹底」すれば良い。「非難」され咎められることはあるだろうが、それを腹をくくって「覚悟」する。

なぜ自分で決めたことを「覚悟」しなければならないのかなんて、もうとうの昔から私が生まれる前から決まっている。

「他人は自分以外の他人を否定することで自分を成型させている」という部分を持ち合わせているから。

それは身勝手で集団でやってくるから。

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