至って真面目に「差別主義者」

自己中心的で自由な一言

何度も言うが「人が存在する限り差別は無くならない」と思っている。

最近は世の中「差別だ」と叫んで集団で露出しこんな観光地でも変態変人行為をしている輩が目に入って、うっとおしい。

国民のごく一部であろうが、本当にうっとおしい。

通常の人間なら「沈黙」を守るし、自分がいかにそう思っていても言葉で表現することはないのだが私は至って真面目に「優性思想の持主」で「差別主義者」だと自覚をしている。

もちろん私は自分が思う「排除」される側になったら、生きていたくなどない。

何度も言うが私の中では「長生き」は悪なのだ。

その時になったら、わからない。

そう思うことはあるだろうが、私は充分に生きた。ほぼ毎日そう感じている。

全力で今を生きているわけではないが、不平をいいながらも最後には満足できている毎日がある。

何をこれ以上のことを望むことがあるのか。

他人を蹴落とし勝ち誇ることには何の魅力は無いが「他人を見下す自分」がいる限り私はその紙一重の上で生きていたいのだ。

私自身が優遇されるような立場ではないし賞賛されるような実績があるわけではない。

相手に私の持っていないものがすべてあったとしても「命」はひとつなのだから死ねば終わり。

「だからどうした」と思うことばかりが重なって偏屈になる私がいる。

これは私の正直な気持ちなのだから向き合っていくだけの度量をつけていく他は無いと思うし、否定するより受け止めたい。

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