人の「良心」を試す

ほとんど毎日

私は人の「良心」を試すような行動が嫌いだ。

相手の様子を伺いながら「良心」に漬け込む行動を動画に撮影しているなんて以ての外だ。

つい最近も似たようなことを書いたが「日本人は空気読み信仰」がまだまだ強いお国柄なので、はっきり物事を言う人間は嫌われる。

それは「その物事」によっては有効か無効かに分かれると私は思う。

電車で老人や妊婦に席を譲る行為は「当然」のことだが、わざわざ自分より弱そうな人を狙って目の前で譲るような現行動を起こすのは「間違い」

だがほとんどの人間はそんな人間と関わりたくないから、何も言わず譲る。

それを見越して生きているような体現しているような行動は心の底から軽蔑に値する。

モンスタークレーマー・カスタマークレーマーの理不尽なことに文句をつける輩に対する知識はまだまだ浅いが、それも結局は「相手側の良心」を大きく突くような行動は「人間のクズ」だろう。

そして皆に影で笑われていることに気が付かないで生きていくのが関の山。

「私は言えないことをはっきり言う」のはそんなことではない。

「降りかかる火の粉に対して対抗すること」と「身に覚えのないことに対してはっきり言うこと」

相手が何も言わないからといってべらべらと在りもしない事を平気で吹きまくることは、これも一種の「良心」を押さえつけものを言わせる行為。

「恥」というものを知らんのか。むしろ「ださい」「格好悪い」

ここまで言っておいてなんだが、私は「良心の欠如」をしているから「こだわってしまう」のだろう。

良いこと悪いことの「区別」はつくが「口」にしてしまうのは、やはり「欠如」しているのだ。

でもそれも私だ。

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