だくだくの「右にならえ」

ほとんど毎日

私は団体行動が苦手で高校の修学旅行でも「個人プレー」が多かった記憶しかない。

当時そんな私でも当時は「親友」「友人」と呼べる気兼ねなく話せる、時間とタイミングが合えば一緒に行動できる人たちは何人かいた。

高校を卒業し就職、社会にもまれ「個人プレー」はほとんどなくなり「周りに合わせる」ことも覚え始めたが、それがどういう路線を通ったか「自分の意思がない愛想笑いばかり繰り返す自分」に変貌もしていった。

「一度のつまずき」は自分を信用できなくなり、働かねば食えない状況に切羽詰まり泥沼に嵌っていく。

あの頃の気持ちはいつまでも忘れないものだ。

今は小さな行動でも意識して「自分の気持ち」を乗せるようにしている。

毎日は「決断の連続」だというからには小さなことでも「他人の意思」を乗せず私自身が決めていくようにしている。

この作業は本当に大切だ。

でないとあの当時の自分に「引き戻される」

そして目の前の多くの人たちによって気づかされ「教訓」にしている。「自分の意見がない流された行動」には気が付くのだ。

「他人の真似」をすることは「場面」によっては重要。

たとえば「仕事」は上司や先輩から教わり進めていく。昔は「仕事は見て盗め」と教わってきた時代でもあるからそれを応用する。

だが「遊び」や「私事」プライベートには必要か。

現在は「自分の意思をはっきり伝える」人たちが増えてきたが、まだまだ「抵抗」が出来ないように力づくだったり、何も知らない新人を「人格支配」まがいのことをする。

私もそんな集団の連中に足を取られないように必死なので他人を助けている暇はない。

「余計なことはするな」と警告は頭の中で響いている。

だが私にも「情」はあるので前に出る時がある。

その時に自信を持って前に出れるように、やはり毎日の小さな決断に迷ってはいられないと感じる。

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