「加減」が行き過ぎて振り切れている

ほとんど毎日

日本は「曖昧」な境目を会話に含め大事にする文化を持ち合わせている。

「空気読み信仰」良い例のひとつだ。

だが人間は食物連鎖ピラミッド頂点にはいるが、ただの考えを持った「獣」の類だと持っているので極め振り切れると「暴力」にモノを言わす。

もちろん中途半端に知能を持ち合わせているので「言葉」も使う。

私たち人間社会はそんな形で出来上がっている思っているので、その「加減」を知らなければいつまでたっても私は馬鹿のままなのだ。

馬鹿は思う。

真正面から戦うことしか知らないから被弾数が凄い。そのくせそれに対応できていないから倒れたまま。

変えていく術を学ぶことはしているが肌に合わず血が頭に昇る。

この熱量を「好きな事」に何故変えられないか。

晴れ渡るこの景色のようにスカッと生きられないものかと、これからも手探りで探していくのだろう。

生きていく「楽しさ」を知った今は「完成」「完璧」を目指さなくてもまた答えが出ると感じる。

自分を幸せにする「いい加減」の処方せん

新品価格
¥1,188から
(2023/8/21 15:01時点)

コメント

タイトルとURLをコピーしました