見渡す限り「察してちゃん」

自己中心的で自由な一言

以前はパートアルバイトをしていてもお金を貰っているんだから「プロ意識」を持とう思考の持ち主でした。

高校の二年から学費を稼いでいたこともあり言い方を変えれば根っからの「奴隷」気質な事もあるのだろう。

今は身体も心も壊してまで倒れても保証もない会社に従順になることは無い。

返事だけは立派なので表向きは「なんとなく」取り繕って心の中では鼻くそほじりながら「チョリーッス」ぐらいが私の中で「丁度良い」

まあ見破られているだろうが「嫌になったらやめればよい」スタンスなので固執することもない。

自分で言うのもなんだが「根は真面目」なので、やることはきっちりとやっている。

「空気読みは苦手」な部類だが仕事中なので頭の切り替え「スイッチ」は入れている。

一人勤務が魅力なこの仕事は、その反面リスクもあって一人でその場の判断をしなければならない。

加えて「客商売」も追加されるので「大勢の人を見ている」

その中で思い知り気が付くのは、かなりの割合で皆さん「もじもじ」しながら声をかけられるのを待っているかのような態度。

「困っているから声かけて欲しい」

仕事だから声かけるが、君たち他ではどうするの。声を掛けられるまで「尻込み」してるの。

私みたいになるよ。

自分から声を掛ける習慣というか癖もつけとかなければ、いざというとき「助け」を求められなくなるよ。

今は確かに「人の善意」を試すような犯罪も横行もしている。

「自信の無さ」を利用して「あなたが悪い」と悪意をもって攻めてくる連中は昔からいる。

他人をますます信じられない時代にもなっている。

信じてはいけない人も多いが、まだまだ世の中捨てたものではない時もあるから。

裏切られて否定されることが怖いのは貴方だけではない。

些細な事でも「助け」を求めることは恥でも何でもないから、行動してみて欲しい。

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