「ストレス」を溜めない方法を探し続けても、溜まるものは溜まる。
それは私自身が「真面目で責任感がある優しい人間」ということをまず「認める」ほうが有意義で価値のある考え方だろうと徐々に切り替えてきた。
大方の「ストレス」なんて「他人」から無秩序にぶつけられて我慢することが多い。「自分を犠牲にする」なんて意味を持たない。
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「自分のことを一番に考え優先する」
移住してからやっと「私自身」のことをきちんと考え始めた。初めて自分と向き合って「対話」してきた。
「人の為に生きる」という誰からか伝えられた綺麗ごとが頭に隅にこびりついた「汚れ」に見えてどうしようない悪感情と過去を真にあたりにする。
そうなると自分自身の行って来たことは私にとって「正解でない、合ってもいない」
本来なら冷静にその「中間」を見つめることが大事なんだろうが、その「中間」さえも見失い見誤った。
私にとって「ストレス」とは「他人」との「中間」にあるもので「どっちつかず」でなくてならないと感じた。
だが「ストレス」は一歩引いた「大人の対応」にした方にしか向かない。
大人だの子供だの面倒くさいなと思いながら振り分ける。
こいつらは「どっちつかず」でいられないから「優しい私」が率先して分けてあげなくては可哀想だとう感覚になったら、もっと私の道が開けるような気がしてきた。
「感情の欠陥」が私を思いかけない方向に導くので、私の人生はまだまだ捨てたものではない。
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