幼い頃から「容姿」に関して誉めらられた記憶がない。
小学生からはデブでブスな事を理由のひとつとして、いじめられた。
それは高校生まで続いた。悔しかったがそれ以上に若さもあっただろうが「自分」に自信があったし、お互いを刺激しあえるような友人も少なからずいたので保てていた。
社会人からは男女の隔てなく表向きの部分もあったが同期は仲良くできたし、誰も容姿に関してモノ申す人間はいなくなった。
だが「どん底」に落ちたきっかけは、その「ブス」という呪いが無意識に働いたことも一つの原因だったこと。
そしてそれは随分と歳を取ってから「身内」の何気ない一言でまたさらに落ちたこと。
「くだらない」「過去のこと」と片付ける身内も嫌いだし今も避けている。
「同族嫌悪」
私は「他人」の「ブス行為」を見ると腹立たしい。
見た目でなく「行動」がブスな人間。ついでにそれが「デブ」だと軽蔑する。その上、歳を取ってわざと見える行動をしわざとそういう言い方をする「ブス」は極めて不愉快だ。
私自身を見ているようで忌々しい。
確かに私は過去一時期「デブでブスなのだから心はキレイに」とは思っていたが「心得違い」でただの「他人に良い人だと思われたいブス」が完成していた。
そこからの修正はどうしたか解らないが、今でもその「ブス加減」が出てきて気分が悪い。
性根に刻まれた「ブス」の呪いはいつまでたっても不貞腐れて陰険で私をつかんで離さない。
私はいつか受け止められるだろうかと思う。
今日も「不愉快な心のブス」を見てしまったので「ああはならないように。ああはならないように」と呪文のようにつぶやいて私自身に「新しい呪い」をかけていくしかない。
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