「自由と幸せ」が未熟

ほとんど毎日

結局私の「自由」と「幸せ」は「お金」あってこそ成立している。

久々の二連休に何をしたらよいかわからなくなっていた。

読みたい本がある。行きたいところがある。やりたいことがある。

それは頭に思い浮かべるのだが計画を立てていない。おおざっぱにでも決めていない。

天気が良いから何か無駄にするのもなんだからと、とりあえず何があっても良いように大荷物で出かけ上下線しかない電車に乗りながらのんびりできる場所を探す。

先は結局「スーパー銭湯」

サウナ往復を3セットをすると身体が軽くなり、腹が減りお腹を満たすと休憩所で熟睡。短時間でもだいぶ気持ちが落ち着く。

だがその「心地よさ」から抜け出せず一日過ごす。

お値段予算以上。

何を得たか。

「気持ちと体のリセット」完全とは言えないが、まあまず来月も頑張ろうとは思う。

帰りの電車の中でそう感じながら、これからのことを考える。

こうやって突発的な行動に「自由と幸せ」を感じれるのは今の私にそこに継ぎ込める「金銭力」があるからこそできた話だ。

これで感じれるようではまだまだ私は未熟だと感じた。

欲張りな自分に素直に従ったが、空しくなるというより「改良する余地あり」と思えたのはまだ良い。私はまだ自分のことを大切に思えている。

だがどうだろう。私は本当の「幸せ」を手に入れていると言えるのだろうか。

そこまで考えて思考をやめる。

なぜならこの先はなんだかわからないが「ストレスの世界」高みを目指しすぎ理想を上げすぎ問題になるからだ。

今日使った「お金」が地に足が付いたものになったかだけを確かめる。

見栄をはり自惚れた。

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