世渡り上手。
私には備わっていない機能だがやはり「他人との距離、関係性」を上手に保てるつかめる人間は存在する。
年上や目上の人たちに対して「こびへつらう」わけでもなく自然に「自分の存在」を訴えかけ嫌味もなく滑り込ませる。
そして周りに人が集まりやすく、分け隔てなく「自分を存在」させる。
それは「天性」のものもあるが「後天的」に要領よくできる人たちも見てきた。
私は当然のように憧れた。うらやましかった。
だが生来備わっていないものを習得することは難しい。そして「本心」でないことをするのはもっと難しい。
心に大火傷を負い今も恥ずかしく気持ちの悪い思い出だ。
そんな時を経て鼻くそをほじりながら「私は私」とようやく理解できたわけだが、まあ世の中を渡るには必要な技術でもあるので「あること」は覚えておいて実践はしていない。
その中で自分のペースでゆったり生きていると「私と同じ苦労を、あなたも味わなければいけない」みたいな輩、年寄連中が気になる。
これに同情同意し話を聞いてやらなければならない場面が多々あり反発否定して痛い目にあった。
「今どきの若い者」や「嫁姑問題」「嫁さんを人前で陰で貶める」みたいなのが伝統行事のように口にする。
カスどもの集いにはできるだけ近寄りたくもないし話も聞きたくもないが、蠅は人の周りをウロチョロして嫌悪感をまき散らすのが趣味だ。
こんなドブみたいな人間が多く集まる場所でしかいられない私も卑しい人間の一人だと自覚をする。
抜け出せない術を知らない私は所詮「同類」
ならできることはなにか。
不本意でもやらなければならない。
反発しても他性に無勢。
つまらない人間を装い「疑問」は必ず持ち続けるのが、この場での生き方だのだと「割り切る」
目の前の性格の歪んだジジババどもを眺めながら私も下衆な笑みを浮かべながら生きていく。
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