「借り物」が壊れ始めるとき

ほとんど毎日

私は本当にぎりぎりにならないと「やらない」人間なのだなとつくつく思う。

「追い詰められた」時の思考力がなくなって行動力がなくなるのとは違い「やりたいこと」に対してだ。

今月に入ってから「肉体」が限界を超え始め、足に膝に腰にと長年の積もり積もったものが崩れ始めるのを感じた。

初めに思ったのは「一生懸命に生きてきたのに、この仕打ちかよ」だった。

そしてすぐさま「まあ建物と同じで半世紀以上使っていたら、おんぼろにもポンコツにもなるよな」と切り替えられたのは、この数年の「行動」の成果だと感じる。

そしてますます身近に感じた「死」を見つめることができ様々な解釈を読み漁り私の中で「答え」をはじき出す。

私は自分を信じる「自分教」の信者なので「自分の行動で得たもの」が当然「トップに上がる」の答えになる。

それから自分なりに「まとめ」ながら多くはないが「多角的」に物事を見れるようにして、「別の答え」を出していく。

その手順を踏まないとすぐさま気は落ち込む。

まだまだ「点と点」がすぐさまつながらないのが難点だが、私はその「術」を身に着け始めただけでもラッキーだ。

その中で「肉体は借り物」だから「死んだら返す」という流れに今の自分に必要なものを掴んだ気がした。

いずれ滅びいくものに固執しても始まらない。

私が死んだ後の「肉体」なんて死んでしまった私には関係ないことだと無責任だがその思いもあること。

生きている間は「金銭のことだけは」後先も考えながら「今」を十分に楽しむことが大切なのだ。

もっと私なりの「全力」で楽しみたい。

それが眠くやる気がなくてユーチューブみて時間つぶしててゴロ寝している生活でも「全力」でやれば問題なしだ。

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