行き着くところは皆「死」なのだがその後すべてが「無」になるわけではない。
「心」にいつまでも残ったり、歴史に刻まれたり、著名人は作品が永遠に残ったり。
私のような生物はせいぜい二三日したら「忘れられる」のが関の山。
だがそれで良い。
お墓は「無用の長物」だし、葬式も生きて残された人のためのものだ。
「ご先祖様が」がとか前置きして言ってくる連中はあてにならない。あてにしていけない。
「心がけ」は大事なことだが今生きている「私のため」にやることであって死んだ者の面倒までは見たくもない。
歳をとるたび「死」に憧れ、恐れている。
長く生きるものではないなと思いながらも「現在」を楽しんでいる私は自分に都合がよい生き物だ。
死に際にすべての「答え」が出るかもしれないと思いながら毎日を私なりの「前向き」で歩いている。
そんな「なんとなく」で毎日を過ごし空に浮かんで着地点が見えない思考を楽しんでいるのだ。
「産んでくれてありがとう」とは思わないが「生きていてよかった」と思える最近の気持ちが複雑で心地よい。
こういう生き方をして良かったんだと心底から思うことがある。
私はいまだ上下黒い服を着て絶賛「中二病」に酔いしれる自分でありたい。
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