暴論極論への直結過程

自己中心的で自由な一言

私は「偏り」がちだ。

それは流されているのではなく「経験」してしまっているので平気で「死ね」だの「殺す」だの思う。

いつ「あちら側」に立ってもおかしくはないと心の隅の私が恐れて震えているのだ。

私自身だってそんな怖い答えを出すのは「嫌」だと思っているが、そうでもしないと立ち行かない。

そんな私を否定してはいけない。素直に表現するのが良いと感じいつもここに記している。

「善悪」で分ければそんな言葉は「悪」で人を傷つける。

しかし感情が高ぶると「傷つけられたんだから傷つけても良いだろう」という解釈になる。

恐ろしいが私自身のこれが現実。

みんながみんなそうではない。

そんな理屈で引き裂かた心が修復できるほど完治などはしていない。

そんなことは解っていても、ただそれは私にとって何の慰みにもならないし落としどころにもならない。

だから毎日、歯を食いしばりながら急に襲ってくる「恐怖」を恐れている。

そんなこととは知らずに生きているあいつらが憎い。あの時死んでれば復讐になったのか。あのとき殺してればすっきりしたのか。

そう極端に思いつめるときだって未だにある。

この「極論」への答えはいつも同じ。思考は単純。複雑に考えても、それが私の答え。

「それで良い」「それが私にとって正しい答え」と何度も何度も私に言い聞かせ落ち着かせることしかできないのだから、感情ぐらいは自由で良い。

その情緒不安定に助けられながら私はこれからも生きていく。

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