「破壊」を繰り返す人々

自己中心的で自由な一言

思想家活動家もテロリストも無縁だと思っていたが近頃は「見る目」が変わってきた。

私の「気持ちに違和感」があるのならそれは私にとって「反発」する材料の一つだということ。

私は「恩恵」に与ってきた人間だ。

私の「生」には多かれ少なかれ関わっている。

そして大きく物事を見ていると目の前にある「災い」を比較していた。

私自身、今はみんなに好かれて生きようとは思ってはいない。

過去、そんな生き方をしようとして憧れて本音を言えば注目され人気者になりたくて「自分が死んだ」

私には私なりの生き方がある。

あったはずのものを、それを心地よく受け止めれば良いだけのことを「怠った」「欲を出した」

すべて「謙虚」にはできないが「私」で良いことは十分に知ったうえで「相手」に配慮するときだってある。

私の性格は変えられないから、あなたが一歩引いて思慮しろ。受け止めろ。

こんな人間は身近にもいて、これが大きくなったのが活動家やテロリストだ。

「空気を読むのが日本の文化」みたいな風潮は嫌いだが「人は一人では生きられない」ことを意味を知り始めた私には相手を「思いやる」ことぐらいはできる。

馬鹿は声が大きいというが私も馬鹿なので声は大きい。

「大きい」の意味合いが違うが「最低限」必要なことを怠っている馬鹿は死んだほうが良い。

「極論大好き」な私もどこかの側面から言わせれば「死んでほしい人間」なのだろうから、私はそれを楽しむほかにない。

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