私自身のことを見つめ直すとどうしても「過去」と切り離せるはずもない。
「私の形」は「過去の私」でも作られてもいる。
それを無視しようなんてことは止めたほうがよいと私の中で警告がなっているからだ。
身震いする過去ばかりの蓋を開けていることに気が付くと「良かった記憶」はなかったのではないかと錯覚しはじめ感覚が痛んでくる。
私が私で良かった記憶なんてあっただろうか。
何もかも否定されてきた記憶ばかりが鮮明によみがえり子供のころ良く行った湖を思い出す。
美しく深い。
恐怖と好奇心が目の前と身体に感じられたあの湖を思い出す。
古い古い記憶だ。
私のピークは幼稚園生の一年間だけだったように思えてくる。
あの頃は何を描いても先生に褒められた。
今思えば優しい先生だったから誰に対してもそうだったし大事になること以外がめったに叱ることはしなかった。
私が最後に抱っこされた記憶は「優しさ」で満ち溢れている。
誕生日おめでとう。
誕生日に先生が抱っこしてくれる「お約束」はとても嬉しかった。その日を待ちわびた。
あの当時さえかなり大きかった私を抱っこしてくれた先生の温かい記憶がふと甦り「私、まだ生きてて良いんだ」
いまそう思える。
私、私の思う立派な人間にはなれなかったが生きている。
複雑な気持ちと共にこれからも自分の足で生きることはしていくのだろうなと感じる。
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