遊びの工夫

ほとんど毎日

幼いころは「リカちゃん人形」を持っている家庭が少し羨ましかった。

私には「手書きの着せ替え人形」を作るのがせいぜいで両親におねだりした覚えもない。

おもちゃに関して他の家と比べて少なく「おままごと」するにもプリンやメロンアイスのカップ。皿も箸もその辺の草木で代用するのが「当たり前」だった。

お金を稼ぐようになってから、すっかり「お金がなければ遊べない」に変わってしまって私自身の「欲望と見栄」にお金を使った。

いま私は上手に「遊ぶこと」が出来ているか。

遊びに「工夫」は出来ているか。

いまだにそうしている私がいると少し恥ずかしく思う。

「少し」と思うのは良く晴れた日に一人で唐突に出かけるのだが、ついお金をかけてしまう。

その辺の散策で良いじゃん。まだ行っていないところもあるし新しい発見もあるかもしれないじゃん。

ついつい電車で「日帰り旅行」特に誰かに言ってきてるわけではないのに「職場へのお土産」を買う。

ついついお土産も「美味しそうなもの」を選ぼうとして時間をかけ高価になる。

ごちゃ混ぜになったが「遊ぶ=その辺の散策」に出来ず「お土産=なくてもよい」に出来ない。

「私のお金の持ち合わせで出来る範囲内」で遊ぶのは構わないが「気まぐれ」が加算されて無駄が出るということだ。

今回の日帰りも反省点が多く「楽しかった」「行って良かった」と思えば家計簿を書いていると「お金」の計算が出てうわぁぁぁとなる。

その内に「お金の心配なく」遊べたらいいなとは思ってはいるが、妄想しているだけでその手段を探そうともせず「時間給」で暇をつぶし身体も潰れていくだろう。

このままで良いとも思ってはいないが、私は行動すれば行動するほど馬鹿が露呈していくので下手に動けなくもなっている。

さてどうしたもんかと一生悩んでいくのが私の一生なんだろうなと受け止めたほうが早いようだ。

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