そんなことはない。これに関しては初めから否定してやろう。
この言葉は私を長年苦しめた言葉だし、このブログを始めたきっかけの一つだ。
どこのお偉いさんがこんなキレイごとを発したのかわからないが、私はそうは思わない。
なぜなら「人を恨んで生きることが私」を認めたら、今までないくらい幸せなのだ。
これを書いている時でさえあの家を大改造するテレビ番組のBGMが頭の中に流れる。なんということでしょう。
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細かく言えば、それを自分を認めたことで今は幸せだということだ。
自分を否定し、どす黒い感情をいつまでも根に持っていてもよいではないか。自信がないのなら自信がない自分を認めてやることがこんなに素晴らしいことだったとは夢にも思わなかった。
若いころは見栄もあり、キレイごとにしがみついた。
漫画が大好きだから、あきらめたら試合終了だと思っていた。
あの歌が大好きだったから、優しさにに触れることよりふりまくほうを選んだ。
今もその作品は好きだし、あの歌は歌いたくなる。
だが今はあの時の自分は「くそくらえ」だ。
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上品な生き方をしてこなかったからとは言い訳になるが、この表現がいまはぴったりとくる。
久しぶりにビールで乾杯したいくらい私の心は素晴らしく晴れやかである。
やられたことは本当はやり返したい。何倍にでも返してやりたいし、ひとりひとり八つ裂きにしてやりたいほど恨んで憎んでいる。
この気持ちが長年続いていたからこそ、私は毎日死にたいと思っていたが生きていけたのだと思う。
客観的に言っても、危険思想の持主だろう。本来なら刑務所に入っていてもおかしくはないと感じる。
なぜ理性が働いているか?一つの理由がある。証拠はないが確実にそれが働いているのがわかるからだ。
「自分が幸せになることが一番の復讐」
結果そうだがその幸せは、有名人になり金持ちなって成功したり、結婚して子供を産み育てるという私の理想とする幸せではなかった。
それを目標としていたが、自分には能力も器もなかった、背伸びした生き方は自分に合わなかったということだけだ。
負け惜しみだろうが何だろうが今は「人を恨んで生きていくことが私である」とわかった自分は本当に幸せである。
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