「可能性」より「可動性」

ほとんど毎日

まあ私は動かない。

偉くもないのに不動明王のように構えている。

チャンスはやってこないことを理解しているふりをして、あちらからやってくるのを待っているだけ。

これが私の側面。

優雅にインスタントコーヒーをすすり、ゆっくりと鉛筆を手にし思ったことを書き進め仕上がってはいないが出来上がったものを見れば罵詈雑言。

不平不満を「お前のせいだ」とすべて他責にしてしまえばなんと楽なことかと呻きながら頭の中で発狂しながら分類分け。

これが私の一部。

諦めつつも縋っていたいために私の信じるものを描き進め眺めてヘラヘラしながら満足しているお調子者。

これが私の一端。

とかなんとか思いながら私は私をまだ知らない。

一生何をしても「満足」しない私はいるだろうし、行動力が上昇した時も欲が出てきて大変で歯止めが利かない。

「丁度良いところ」を探そうとして突き抜けるか停滞しているかのどちらかで、悩んでいる暇があるなら動けと動いてみたら見当違いの方向で迷子になる。

面白いくらい私はまだまだ私の動向がわかっていない。

冷静に分析することも私の脳みそで出来ることはなく、ただ感情に身を任せているだけなんだろう。

それでも私の心臓は今を生きるために鼓動している。

「その命の輝きを」なんて高めなくても良いから思ったように動けなくても良いから、ただ行動出来ている私を素直に褒めてあげたい。

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