私「多様性」というのは相互理解を示しお互いを尊重するものだと思っていた。
どうやら世の中は違っていたらしい。
少数派が権利と暴力で拳を振り上げ、多数派を差別者と罵り最終的には自分以外はどうなったって良いという「心の殺人者」と化していくのが「多様性」になっている。
私自身それは一部の「お金と名声と暴力」が好きな過激派が代表と偽って偏ったこと広めていることぐらいの目線は持っている。
弱いふりをした強者が弱者を虐げる構図が出来上がっているのは大きな疑問しかない。
そもそもそれは私の中で「多様性」ではないので「間違っている」し「否定」もする。
だがその「否定」さえも彼らは数で暴力でねじ伏せようとしているのは気に食わない。
そう、言葉を選ばずに言えば「気に食わない」
なぜこうなってしまったのか。
政治が関わって法律化したことが一つの原因であることで、それが大きく担ってしまったことだ。
これから先また長い時間をかけていかねばならないのかと思うと気が滅入る。
だが人間のほとんどは「相成れない」同士でコミュニティを築いてきたはずなのだと「前向き」に考えれば建設的にもいくだろうが、我慢をする必要もないので対立という形も選ばなければならないだろう。
人間同士が平和的に解決できるのは「会話」ができるからである。
試みる前にねじ失せられている状態ではへったくれもない。
私も私で力をつけていかないと私の信じた「多様性」が壊れていくからこの一年は吐き気と怒りばかりで本当にきつかった。
私自身もやっと次の段階に進める準備が出来上がったといえば、そうではなく「一人決起集会」みたいなものだ。
気持ちの入れ直し。
私の意に反することには動じず対処していきたい。
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