老いも若きも譲り合う世界が望ましいが、現実は水面上下で争うだけだ

長文

「キレる若者」というテーマの文章を目にし、いつの時代の話だと思い日付をみると最近だった。

キレやすいのは若者ではなく、その人の人間性であって関係ない。むしろ歳をとっている理不尽に他人に怒鳴っているのをよく見かけるくらいだ。

若者は「相手の話を聞く力がない」と言われるがそれも年齢関係ない。なぜか一方的に悪者にしたがる頑固な年寄りが多いかと思うくらいだ。

「近頃の若者は」このフレーズはいまだに聞く。言葉が悪くなるが「お前らもそうだっただろう」というと「私らは違う」と否定する。

これは私のダイエットと同じように人間模様のなかで一生のテーマなんだなと感じる。

自分自身や目の前の改善すべき点はいくらでもあるのに、これも他人のせいにする古来からの伝統のように引き継がれていく。

私はずっと奥底にこの悪循環を断ち切りたいと思っているはずだったのに、いつの間にかこの大渦に巻き込まれてしまって「キレる若者」から「キレやすい老人」になってしまっている。

今からでも軌道修正を少しでもできるようにしたいところだ。環境のせいにしている場合ではない。戦うことと守ること同時にやろうとするとほころびが出るが、まあやるしかない。

むしろ今の私の周りの若者は 、しっかりと地に足をつけ現実を見据えて行動しているかのように見える。

自分の意見をしっかりと言葉にして伝え、それに対しての受け答えが冷静に見れていると感じる。やはり柔軟性があるのは若者であるように見える。

それに反して私も含め年寄り初期から後期高齢者は何たることでしょう。

私も大概は頭が固くはなってきているが、類似品が集まるところに行ってしまったのでお互いの悪いところをつつきあう。

気持ちがすさんでいくのが許せないはずなのに、くだらない争いが絶えない。

とりあえず今はずっと我慢してきた理不尽なことを跳ね除けるまでとは言わないが対応・対処ができるようになってきた。

現在の対象物には私の踏み台になってもらうだけだ。私に恨みを買われているくらいなのだから今までそういったことをしてきたのだから返されているのだろう。

嫌いな人間なのでどうでもよい。私の目の前で地獄に落ちればなお良いと思っているぐらいだ。

そこそこ長く生きてきても、他人をそうみてしまうのは私はその程度の人間だということだ。

譲り合ってお互い気持ちよく過ごせる相手とは、本当に自然に交流出来すぎて気が付かなかったから私は今一人だ。

後悔はしているが前に進むことしかできないのがわかっているので、今はこれを踏みしめていくだけで充分だ。

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