私はおおざっぱに見られがちだが、そんなことはない。
血液型で分けられるのも不本意だが、そういうのが好きなのも会話のひとつなので無闇やたらに否定はしない。
人に言わせれば余計なところを気にしすぎといわれるが、私には大事なので何を言っているんだと感じる。
身勝手なもので私がそう返す機会があるとミジンコ脳みそ並みに「私は違う」となる。「私は違う返し」はそういう脳みそのからくりかなんか仕掛けなのだと思う。
話にはよく言われる「相談・愚痴・悩み」というよくわからない三原則が存在しており、その人にとっては重要な話なので表面上は一旦聞くことにしている。
どれもこちらが真剣になると馬鹿を見ることになるので表面上だ。結局、私にはとってもどうでもいいことなのだ。
人は自分のこと細かい繊細さを聞いてもらいたい生き物なのだと、また実感する。
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