いつも通り心の隅で未練たらしく「生きる」ことにしがみついている私がいる。
これからまだまだ生きなければならないと思うとうんざりしているくせに、まだ生きようする。
その未練のために働き、ご飯を食べ寝る。
今日はそれが面倒くさいと思っている日になる。
気持ちの浮き沈みがあるのは人間として当然だと思っているし、これが当たり前の日常なのだ。
だが最近はなぜ「死にたい」より「生きたくない」の文字を選ぶのかは分かっている。
本当はまだ生きていたいからだ。
そうやって私は「生と死」のバランスをとり、また生きていくのだろうと感じる。
これが私なりの前向きな気持ちの表現だとして今は布団の上でぐうたらしておこうと思う。
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