余計なことを言う

ほとんど毎日

人間には「余計」な機能が様々取り付けられている。

「余計なことを言う」のはまさにその代表機能のひとつだ。

人間は何故その「余計」な機能が備わっているかというと「自分で考えて言葉を発する」からだ。AIはわからないが決まった言葉だけ入力した機械だとこんなことにはならないだろう。

近場の自己責任論者は「余計」なことを言い過ぎたせいで現在病院に通う逆切れ大迷惑人間に成り下がった。

顔と行動と態度を見ていて腹も立つが、とても愉快である。

そして私も同様に「余計なことを言う」その人と違うのは私は正体不明の自信と自分の言葉は本心なのだからと知っているからだ。

ブレたり揺れたりもするが考えや思いをいつでも「私軸」「自己中心」に置くようにしているから可笑しなことにはならないことをこの年齢で学び知った。

人の目や相手のことを考えて言葉を発するのはとても良いことだ。円滑に人間関係を進めていく手段だろう。

そして相手のことを「余計」に考えすぎて何も言えなくなり自分自身が死んでいく。

「丁度良い」距離場所なんて人間の間の関係に相手の見えない物差しを自分自身の物差しで計っていたらきりがない。

私はこれからも「余計なこと」を言うのだろうし「失言」もするのだろう。

それは私にふさわしい言葉を発する言葉なのだから堂々としていくだけだ。

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