得体のしれない「恐怖」

ほとんど毎日

私にとって「人間」つかみどころのない恐怖の対象だ。

多くはないが「一定数いるもの」に対しての「大多数」より「少数派」のその「一線」がずれるタイプの人間。

「経験したことのない恐怖」なんてものではない。

「過去経験しても慣れることのない恐怖」だ。

私はあれだけ「人と違う」ことをが奇異な自慢だったのに「人と違う」ことを恐れている。

だが私のその「人と違う」は「感性」のことだから「異常性」のことではない。

急に怒鳴り散らすもの暴力を振るうもの。

精神疾患を患ったもの脳の機能障害を抱えたもの。

「差別をしてはいけない」と思いながらも、そういう人たちとは両立できないし、相容れない。

したくもない。

相手の「求める」量の大きさが違いすぎるからだ。

現在は広く知れ渡って病名も障害も「許容」しやすくなってきた。

うつ病の人にはいってはいけない。

発達障害の人にはやっていけない。

心的外傷の人にいってはいけない。

だぶん私は「しっかり診断されて羨ましいですね」と嫉妬しているだけなのだ。

過去の様々な経験から病院にセンターに何度もいって行き先を変えても病名や障害を診断してもらうことはなく結局はどれもどの場面もあれは「自分が悪い」という繰り返しになっている。

過去の私のような同じような似たような行動をしている人たちが「医師に診断された症状」でインターネット上で「同情」を集めて「解ってもらえる」状態が気色悪いのだ。

なんて「最低な感情」なのだろう。

見なければ良い話だが「私は私」を受け止め、自らを自分で助ける「自助」を選んで今は生きているので様々な感情を沸かしながら見ている。

「誰の助けも借りない、いらない」そんなのは若いころや最近までの話。

今は「助けてもらうためには普段から相手に何をするべきか」も念においている。

「嫌いな人」にはどうでもよいが「携わる人」「関わる人」にはそうしている。

私は間違っているのかもしれないが、それで私が立っていられるのなら「正解」だ。

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