「価値観」の置き換え

ほとんど毎日

私の「価値観」がすべてではないが、私の「価値観」で生きていることは変わりない。

堂々巡りの答えだが、やはり人は自分の「価値観」で他人を判断する。

お金を持っているやつ。地位を持っているやつ。集団で行動やつしないやつ。

さまさまいろいろ。

単純な「ラベル付け」を沢山して相手を判断する。

それが「先入観」に繋がり統計的な「決めつけ」になり視界を狭めて問題を起こす。

そのバクに対応できてこそ「価値観」は広がるのだろうかとも思う。

物事は一度寝かせること。

いつも慌てふためいて、直感的に直情的に生きていることの多い私は「行動してから気が付く」そして「忘れる」の繰り返しだ。

都合よく生きてきた部分を誇張させるが、それは私が判断する「価値観」では無用のものだとしているからだ。

だがこうして生きてきた道を振り返ってみれば「思い出す」「記憶がある」のだ。

「悪いこと」ばかり強烈な印象で私の心をむしばみ偏った「価値観」を植え付けているには「理由」がある。

「良いこと」がそれ以上を塗り替えられないのは「理由」がある。

それを無かったようにはできない。

私の「価値観」は私自身で出来ている等身大の「私」だ。

否定するのも結構だが私はそれをまだ育てていこうと思う。

まとめ 数学教師もげきはじめの考察

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