私は私自身のことを「まとも」だとは思っていない。
あらゆる方面に向く「心に思ったこと」は私自身「歪んでいるな」「捻くれているな」「基地外か」「サイコパス超えてソシオパス」と思うほど一線を越えてたりする。
だがそれは私自身の本音だから受け止める反面、人との対話には気つけようと心にとめる。
これでも場の空気を読まない発言はだいぶ落ち着いてきたつもりだが、やはり本音は本音。
本性は「頭のイカレた神経質な自称・躁鬱」は端々にでる。
理想と現実。
こうありたい、ああなりたい。
そう強く願って発言しても結局は相手の地雷を踏むだけでなんのためにもなっていないことだらけ。
すぐ忘れて同じ轍を踏む毎日ではあった。
本当に「人のこと」は気にするときりがなく自分を追い詰める。
何十年もそうしたせいで、なかなかその「人目を気にする」というのが剥がれない。
この年齢になったら本当にどうでも良いことなのにと思いつつ立ち振る舞いを注意する。
すべてを一緒くたにしてテーブルの上に全部広げる考えが良くないのだが、それは性質上のこと。
テーブルの上の整理は確かに上手ではないが見晴らしは良い。
何があるか。
見晴らしだけで私にはやっぱり何も見えてない。
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